トップ会社情報スポンサー活動対談企画「川村 昌弘 × 下田 寛二」

Interview

対談企画

対談企画「川村 昌弘 × 下田 寛二」メインビジュアル
トークテーマ「Re:birth(新生) 」

川村 昌弘スポンサード契約選手下田 寛二シモダL&C 代表取締役社長

シモダL&Cは百周年を機に制定したミッション「挑む企業をつなぎ、革新をつくる」から、海外で挑戦し続けるプロゴルファー川村昌弘選手の姿勢と精神に共感し、2024年3月にスポンサー契約を締結しました。今回、新たなスタートに向けて療養を決断された川村昌弘選手(以下、川村)と社名を変更して新たにスタートするシモダL&C株式会社 代表取締役社長 下田寛二(以下、下田)との対談が実現しました。

懇親ゴルフコンペの様子
懇親ゴルフコンペの様子
記念式典で上映された祝電メッセージ
記念式典で上映された祝電メッセージ

昨年は創業100周年の懇親ゴルフにも参加してくださって。ありがとうございました。最後の表彰式まで、ずっといてくれたから感激しましたよ。

喜んでもらえてよかったです!療養に入って帰国したタイミングで急遽参加しましたけど、楽しく過ごせました。

うちの社員のゴルフの腕はどうです?

役員のMさんは上手かったですね。一緒に回ったメンバーも個性的な方々ですごく面白かったです。

日本に戻って、今はどんな生活ですか?

12月はゴルフばっかりしていましたね。もうすぐ手術して出来なくなるからって。手術が終わった今は、起きる必要もないし、ゆっくり寝過ぎて、サボっている感が…(笑)
ゴルフをやりたくて仕方ないけど、強制的にお休み期間ということで。今までは、試合のゴルフをしているか、試合じゃないゴルフをしているか、食事しているか、ゴルフしている、みたいな生活だったから…こんな生活は二度とないと思います。
今日は新入社員の皆さんにもインタビュー(YouTube)してもらって。手術後は時間を持て余していたので久しぶりの充実した1日です!

そう言ってもらえるとありがたい。今日はよろしくお願いします。

創業百周年記念ゴルフコンペの様子
創業百周年記念ゴルフコンペの様子
記念式典で上映された祝電メッセージ
記念式典で上映された祝電メッセージ

決断:療養という選択

川村プロは手首の故障から長期療養を決断されたとのことですが、手術を決めるまでにどのようなことがあったのでしょうか。きっかは何でしたか?

手首の異変を感じたのは2年前、2022年シーズンでした。その前シーズンは調子がよくて、結果以上に手ごたえを感じ「次はアメリカツアーだ」と意気込んでいました。
ところが次第に手首に痛みが出るようになって…クラブを全て変えて打ち方も工夫して、自分の中の打ち方のイメージも変わりましたが、それでも最初は戦えていました。今までのようには戦えなくても「新しい戦い方ができる」「チャンスだ」と最初は前向きに捉えていたんです。
だけど2024年アイルランドの試合、休養前の最後の試合で、ミスショットでもないのにバンカーに入ってしまった。「こんなバンカーも越えられないのか…」と、その一打が大きかったですね。身体の状態を誤魔化しながら結果を出すより、しっかり治すべき時だと感じて。実はその時期は心身に負荷がかかり、ゴルフをしている時だけ元気、ゴルフをしていない時間にはほとんどダウンしていたんです。周りにも心配をかけてしまいました。

出られるはずの試合を休んで療養するというのは、苦しい決断ですよね。それでもその決断で次に向かえるのであれば、今後のゴルフ人生を考えたらけっして遠回りにはならないと思います。

ありがとうございます。スポーツ選手に怪我は付き物とは言え、悔しい気持ちはあります。でも、ケガで終わりではない、手首が治ればまた戦える、もっと出来るはずだ!という気持ちが自分の中にありました。諦められない気持ちが大きかったんです。

変化:葛藤かっとうと前進

療養に入ったことで、心境の変化などはありましたか?

決断した直後、帰国して療養がはじめるまでは本当につらかったですね。「本当にこれでよかったのか」とずっと葛藤していました。日本に帰って本格的に治療が始まってからは、長く大好きなゴルフをやるためには「今だった」と、前向きな気持ちに変わっていきました。

動き出したことで気持ちも変わったのですね。リハビリというのは、どんなことをするのでしょうか?

身体が固まらないように週1~2回はトレーナーさんのところに通っています。「姿勢」「体の使い方」を一番気にしていますね。途中からはランニングも始めて、今も続けています。連戦していない今だからこそ、コンディショニングしやすい。次にクラブを持った時に「あっ」と思えるような、前より良い状態に身体をもっていくチャンスだと思っています!

リハビリ期間中もレベルアップのために動いているのですね。Rebirth:新生できることを応援しています。復帰戦のタイミングは、いつを考えているのでしょうか。

公傷制度(※1)のルール上、復帰までに3試合出られるので、国内ツアーに出て調整したいと思っています。ギャラリーが多い試合だから、試合の感覚をつかみやすい。アドレナリンが出た時にしか、自分の状態がどれだけ戻っているかわからないんです。ヨーロッパに戻るのは8月、大好きなスイスでの大会がありますので、そこで復帰したいですね。

川村プロは復帰に向けての自分の考えがしっかりあって、やるべきことを決めていらっしゃる。それを実行していけば必ず成功できると思います。復帰を楽しみにしています。

  • シモダL&C株式会社 代表取締役社長 下田寛二
  • プロゴルファー川村昌弘選手

※1 公傷制度:トーナメント期間中に試合やトレーニングで負った怪我や病気が原因で試合に出場できない場合、公傷として公式に休場を認め、シード権獲得の期間猶予を与える制度

Re:birth(新生)世界への挑戦

新生によってさらに進化し、こうなりたいと思う目標はありますか?

アメリカツアーへの挑戦です。
今回の手術も、もう一度アメリカに挑戦したい、上を目指すために必要だから、決心できました。実は2021-2022年シーズン、開幕戦の大きな試合でも、あまり心が躍らなかったんですよね。自分の中で、次に行きたい、もっと上に行きたい気持ちが湧き上がっていると感じました。

夢を追いかけるための決断だったのですね。やはり、アメリカツアーはヨーロッパや日本とは違いますか?

アメリカは、筋力が求められるパワーゲームなところがありますね。手術前の、バンカーに入っているような状態ではコースに届かない!もちろんそれでも勝負できるコースはあるんですが、勝てる可能性が変わってきます。

以前にもアメリカツアーはチャレンジされていたのですか?

アメリカツアーの出場権を取るためのQT(※2)に挑戦しました。その時はヨーロッパのシード権を持っていたので、「(シードがあるのに)なんで来たんだ?」と言われてプレッシャーをひしひし感じました(笑)
QTは、何千人、何万人と受けて最終的に5人しか通らない。優勝経験者もゴロゴロいるから、レベルがぐっと上がる。その時はセカンド(二次予選)で落ちました。セカンドは、球が全然飛ばない転がらないモンスターコースでしたけど楽しくって。今もリベンジしたい気持ちがありますね。

復帰されたら、またアメリカツアーのQTに再挑戦される予定ですか?

ヨーロピアンツアーで、トップ10に入るとアメリカツアーに行けるという制度が始まったので。まずはその道筋でアメリカを目指したいと思います。ヨーロッパで長くやってきたので、ヨーロッパで結果を出して次のステップに行けるのが理想的ですね。

『 世界への挑戦をはじめた頃の川村選手 』

2007年エビアンマスターズ ジュニアカップ優勝時の写真
2007年エビアンマスターズ ジュニアカップ優勝時
2013年アジアパシフィック パナソニックオープン優勝時の写真
2013年アジアパシフィック パナソニックオープン優勝時

※2 QT:Qualifying Tournament(クォリファイングトーナメント)の略称で、当該ツアーに関する翌シーズンのシード権を有していない選手が参加できる翌シーズンの出場資格を懸けた予選会制度

Re:birth(新生)100年企業として

シモダL&C 社屋外観

2020年には会社の統合をされたということですが。大変な決断ですよね。なぜ統合を選んだのですか?

当社の理念『企業は永遠なり』を実現するためには、成長し続ける必要がありました。
日本の経済が成熟しきってこれからシュリンクしていく中、シモダグループの持続的成長には、海外で活躍しなくてはいけないという思いがあり、統合して4社で海外を開拓していく決断をしました。

葛藤もあったのですか?

葛藤が無かったといえば嘘になりますね。統合前も利益は出ていて各社の状況は決して悪くなかった。だから現場の社員には、そのままでいいと考えていた人もいたと思います。
それでも、10年、20年、50年先を考えた時に、別々の会社としてやっていたのでは限界がある。そんな未来が予測できていました。だから統合をやりとげないとグループとしての将来はないと感じていました。

信じて進んだわけですね。

状況がよい各社が一緒になるわけだから、確実に成長するパワーが生まれる。
統合に向けて素地を作っていたため、大きな問題もなかった。

「下田工業」から「シモダL&C」へ 2025年4月

創業100周年の様子

どうして今、社名変更をすることを決断されたのですか?

統合をしたことで、ひとつのタイミングだと感じていました。
東海電気と東京下田工業、海外展開を担うシモダトレーディングを、下田工業に吸収するような形で統合しましたが、元は1つの会社でしたので、分社前に戻るイメージでした。
下田工業への吸収ではなく、統合により新たな企業として歩みだしたこと、それを表すためにも社名変更は一つの手段として考えていました。
統合から数年、創業100周年を迎え、社名を新たにするのに相応しい時だと思いました。

新しい社名の「シモダL&C」にも「シモダ」は入るのですね。

「シモダ」を入れたのは、自身の名前を残したとも思われるかもしれませんが、そうではなく、逆に自分の名前は残さなくてもいいと考えていたんです。けれど、社名を検討する中で周りから「お取引先からは『シモダさん』と呼ばれている。それは愛着だったり、信頼なんですよ」といった話を聞きました。そこで改めて、100年の『シモダ』なんだなと、再認識させられたんです。

ロゴマーク

新生「シモダL&C」、頑張ってほしいと思います。新しいロゴマークも拝見しました。今はゴルフウェアにロゴマークとSHIMODAを入れていますが、『SLC』だけのほうが、かっこいい!印刷も楽になりますよね(笑)

そうなんです。新しいロゴを付けてもらっての活躍、楽しみにしています。

新生「シモダL&C」は、どのような未来を目指しているのですか?

今まで以上にグローバルに躍進しなくては、次の歴史につながらない。どの国においても日本と同じように「シモダさん」として愛着をもって取引をしてもらえるようになりたいです。

  • インタビューイメージ 1
  • インタビューイメージ 2

最後に、お二人に聞いてみました

異なるフィールドで『挑戦』するお二方へ
挑戦する上で大切にしていることは何でしょうか?

「挑戦をたのしむ気持ち」です。
迷った時には楽しい方、わくわくする方を選びます。

私は安定志向ですが、立ち止まっていることが安定ではないと考えています。安定を求めるからこそ挑戦することは大事で、会社と社員が同じベクトルで進化しつづけられる、そんな組織を実現したいです。挑戦は、今まで築きあげたものがあるからこそ、挑戦できると思います。

今までのことを大事にした上で、次に進んでいくわけですね。動き続けないと安定しませんよね。

川村プロは「自分らしさ」を持って挑戦していると感じます。我々も、生き残っていくために、挑戦を続けていくために、「シモダらしさ」を追求していくことが次の時代に向けて求められます。現状に満足することなく、これからも進化していきたいです。

インタビューイメージ 3