SIMODA 100th Anniversary 1924-2024

100年のあゆみ

History

100年前に始まった下田工業。時代の荒波をのりこえ、どのような足跡を辿ってきたのか。ダイジェストでご紹介します。

創業期

1920年代1930年代

創業の苦境から発展の時代へ

1917年、創業者下田利之(しもだ としゆき)は、故郷の熊本から商業の街 大阪へ単身で乗り込み、絶縁材料を取り扱う貿易会社に出入りするようになる。そこで電気関連の知識を学んだ下田は、1924年3月8日 大阪市天王寺区で電気絶縁材料の卸売を開始。「下田電気商会」を設立した。

下田は電気業界の躍進を信じ、経済が低迷していた時期に発電機用コイルの主材料である銅線を大量に仕入れ、時を待った。
その読みは当たり、鉄鋼業の発展により発電機の需要が拡大、下田電気商会は急速な発展を遂げた。

産み出した利益を原資に、当時国内量産が開始された絶縁ワニス、絶縁コンパウンド等の新商材の取扱いを開始。1935年には組織を株式会社化し、個人経営から脱却。「株式会社下田商店」を設立した。さらに名古屋、東京への事業展開を開始した。

※会社設立当時から現存する社旗

1940年代

戦争の激化、
混乱と苦難の時代

事業拡大に伴い、東京支店、名古屋支店がそれぞれ独立。東京下田工業㈱と東亜航空機材㈱(のちの東海電気㈱)を設立した。

鉄鋼等の基礎産業とその関連産業は軍需体制下に組み込まれる。下田工業も本来の取扱商品に加え、ファイバー製品など航空機材料の加工業を開始。同時期よりグループ各社は被災・移転を繰り返す事態となる。

躍進期

1950年代1960年代

高度経済成長期
電気関連分野の成長、販売躍進、製造拠点の拡大

創業者自らがスイスの現地に赴き、当時最新鋭を誇ったホームバック式真空成型機を他社に先駆けて導入。真空成型加工事業を中核とする製造拠点を大阪府茨木市に設立した。(のちの下田工業茨木㈱)

1950年代後半、日本の消費革命により家電が広がった時代、冷蔵庫・洗濯機・テレビの三種の神器など、新たな製品が生み出される中で、下田工業は新たな技術・分野でビジネスを見つけ出し、着実に成長し続けた。

1960年代、技術革新と消費ブームの到来を受けて、グループ各社が競い合いながら拠点・設備への投資を進め製造事業の拡大を進めた。

東海電気㈱(現在の名古屋支社)では、FRP(繊維強化プラスチック)事業を開始。素材メーカーと共同で造船・電機製品業界へ納入を開始した。

1970年代1980年代

成長産業を担う製品・プロジェクトへ
部品供給

電化製品の進化、家庭用ゲーム機の普及などの市場成長を受け、下田工業は製造事業の更なる拡大を目指し、茨木工場を下田工業茨木㈱として分社化。国内で初の大型真空成型加工システムを導入するなど、技術開発への投資を積極的に行った。

東京下田工業(現在の東京支社)では、顧客ニーズ対応と安定供給を目指し、フィルムのスリット・プレス加工を中心とする製造拠点を
福島県に設立(現在の福島工場)。

1990年代

グローバル企業としての躍進
海外進出

1989年、下田工業、東京下田工業、東海電気の合弁会社としてシモダトレーディング㈱を設立。日本企業の海外進出に伴い、下田グループも活躍の場を海外へと広げた。

2000年代2010年代

環境、品質への取組みを強化
国際基準の認証取得

2000年のISO9000の改訂を契機として、国内で品質管理や環境課題への対応といった企業の社会的責任(CSR)を求める声が高まり始めた。
下田グループ各社は商事・製造の両部門でISO9001(品質)、ISO14001(環境)への対応を推進した。

海外への更なる展開を進めると共に、メーカー機能やリレーションで培った経験・ノウハウによるソリューション提案を強化。また、社会的課題への貢献を目指すために介護事業など新たな分野への挑戦を始めた。

新生期

2020年代

下田グループ経営統合、新規事業への挑戦
創業100周年に向けた新たな歩み

2020年、グループ会社として半世紀以上、切磋琢磨する関係にあった下田グループ4社は、グローバルでの対応を強化するとともに、更なるステークホルダーへの価値創造を目指して経営を統合。現在の下田工業㈱となる。

創業の理念「企業は永遠なり」の実現と社会的課題への貢献を目的に、農業事業への参入を実現する。
同じく、成長を続けていた介護事業の更なる価値向上のため、介護部門を分社化した。

2024年代

2024年、創業100周年を迎える
つなぎ、つくり、こたえる。

イノベーション共創企業として、お取引先様と社会のニーズに応え、持続可能な社会の実現に貢献します。